護摩堂野菜の由来について

田上町の人はみんな知っている「護摩堂山(ごまどうやま)」。田上町の東側に位置します。道の駅たがみのマークにも護摩堂山はシンボルとして採用されています。町の多くの人が登った経験があり町のアイデンティティ(誇り)がつまった場所なのです。そこで田上町で作られた地元の野菜の名前として護摩堂野菜と名付けさせてもらいました。

 でもこの護摩堂山ってきれいなアジサイが咲く、ハイキングにちょうど良い山ってだけではありません。天然記念物のオオムラサキがいたり、眺めがよかったりもしますが、あまり知られていない事実として実は、ここにかつてお城があったそうなのです!その名前が護摩堂城!歴史資料によると応永30(1423)年の上杉氏と長尾氏が争った「応永の乱」に登場します。今からなんと600年も前です。中条房資の一族が護摩堂城に配備されたようです。次に史料上で名前が現れるのは、「永正の乱」。長尾為景方の拠点として、天正9(1581)年11月、上杉景勝は甘粕景継を護摩堂城の在番に任命しました。慶長5(1600)年の越後一揆を最後に史料には現れないのですが、数々の戦で要となる城だったことが伝わってきます。護摩堂山の山頂に登ると、平野を一望できることからも、戦において抑えるべき城だったことがわかります。ここに武士や侍(さむらい)がいたんですね。現在は平和で穏やかな平野をながめることができてありがたいものです。

 ちなみに、田上町は縄文時代中期(5500〜4400年前)のものとされる古屋敷(こやしき)遺跡が残っていることから、5,000年以上前からひとが住んでいたと考えられます。平野が広がる田上町は、稲作をはじめ次第に田園が広がっていくようになったとされています。江戸時代には新発田藩の支配地とされ、明治に入ると農業を主産業とする経済活動の村々となったそうです。5000年以上も人が続けられる土地というのは、きっと何かに守られ続けているんでしょう。

 もっともっとさかのぼると護摩堂山は1500万年前に海底の火山活動によって隆起したものらしく驚きです。山頂にある護摩堂石の火山灰が固まってできた岩らしいです。日本一の信濃川が運んでくる豊かな水と土壌で長い間「農」と共に過ごしてきた田上町。このまちで作られる誇りある農作物を地元の方、遠くの方にも親しみを持って楽しんでもらえるよう、護摩堂野菜として伝えていければと思っています。

 
 







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