新潟市の南東に位置し、JR新潟駅から電車で約40分、JR燕三条駅からは車で約30分と訪れやすいまち。護摩堂山に代表される新津丘陵と田園風景が広がるのどかな場所で、ゆったりとした時間が流れています。

 
 

青紫の宝石を求めて。初めての山登りにやさしい護摩堂山

 

 

田上町の東側には護摩堂山と新津丘陵が、西側には信濃川が流れ、平野が広がっています。標高274mの護摩堂山は、初めての山登りの最適。お子さんを連れてでも、歳を重ねたころに足腰を鍛えるために登ってもちょうど良い高さです。約40分かけて山頂に登ると、眼下には蒲原平野の田園風景、弥彦山、さらに佐渡ヶ島までを見渡せます。
 
山頂周辺に広がる「あじさい園」では、約3万本のあじさいが植えられています。色鮮やかに輝くその姿はまるで青紫の宝石のよう。見頃は6月下旬から7月上旬で、開花時期には「あじさいまつり」も行われています。
 

 

開湯280年以上の「薬師の湯」。山伏が修行の身を癒したほどの効能の高さ

護摩堂山で修行をした修験者たちが、身を癒すために使った湯田上温泉。泉質はナトリウム・塩化物質で飲泉もできる湯は、効能が高く、地元では昔から「薬師の湯」と親しまれてきました。現在、4軒ある温泉旅館では、温泉を楽しめるのはもちろん、季節の旬を盛り込んだ料理と心を込めたおもてなしで、訪れる人に癒しのひとときを提供しています。
 
湯田上温泉 温泉まつり
かつての習わしだった土用の丑の日に温泉に入り、無病息災を願う「丑湯」。そのときに賑やかな祭りも行なわれていたことから、現在もその風習に習い、毎年秋に温泉街や周辺施設が「湯田上温泉 温泉まつり」を開催しています。その内容はさまざま。コンサートや落語会、観月会・縁日など、その年ごとに多彩なイベントや催しを企画しています。
 
 

自然の恵みのたっぷりうけた農産物

恵まれた自然風土がある田上町は、農産物の産地でもあります。田上を代表するブランド「越の梅(こしのうめ)」は、種が小さく果肉が多いことが特徴。毎年6月から収穫が始まると、県内市場や酒造会社、漬物業者、J Aにいがた南蒲加工センターへ出荷。すべて県内で消費されています。他にも、ルレクチエや越後姫、枝豆、桃など、果樹や野菜もたくさん収穫される田上町。地元の野菜を地元で消費できるなら、何よりの世界ですね。
 
田上の食として忘れてはいけないのが、筍です。町内に約17haもの竹林がある田上町の筍は、アクやエグミが少なく、香りが良いと評判の品。シーズンになると、ごまどう湯っ多里館の駐車場にある「ごまどう直売所」には、掘り立ての筍が並びます。

 
 

古くから続いてきた稲作と、豪農の館

 

縄文時代中期のものとされる古屋敷(こやしき)遺跡が残っていることから、田上町には5,000年以上前からひとが住んでいたと考えられます。平野が広がる田上町は、稲作をはじめ、次第に田園が広がっていくように。江戸時代には新発田藩の支配地とされ、明治に入ると、農業を主産業とする経済活動の村々となりました。
 
すると、明治から大正にかけて「田巻三郎兵衛家」と「田巻七郎兵衛家」の県下有数の大地主が現れます。今も田上に残る「椿寿荘」は、田巻七郎兵衛家の離れ座敷として建設されたもの。建築は日本三名工のひとりといわれる富山県井波町の宮大工・松井角平が担当し、木材は吉野杉や木曽桧、会津欅などの銘木が多数使われています。これほど贅を尽くした建物が建てられていたくらい、稲作が栄えていたのです。
  

一堂に見渡せる利点から、重要拠点にされた護摩堂山


田上町の東側にある護摩堂城を史料の上で確認できるのは、応永30(1423)年の上杉氏と長尾氏が争った「応永の乱」のとき。守護方となった中条房資の一族が護摩堂城に配備されたといいます。次に史料上で名前が現れるのは、「永正の乱」。長尾為景方の拠点として、天正9(1581)年11月、上杉景勝は甘粕景継を護摩堂城の在番に任命しました。慶長5(1600)年の越後一揆を最後に史料には現れないのですが、数々の戦で要となる城だったことが伝わってきます。護摩堂山の山頂に登ると、平野を一望できることからも、戦において抑えるべき城だったことがわかります。
 

 
参考:『田上町史 通史編』編集・発行 田上町 /『新・にいがた歴史紀行 5 新・三条市 新・燕市 加茂市 田上町 弥彦村』発行 新潟日報事業社 /『田上まち遠足』発行 田上町役場

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